August 2021
「選び」と「人間の側の自由な選択的応答」
29/08/21 00:00

(25)そのときイエスは声をあげて言われた、「天地の主なる父よ。あなたをほめたたえます。これらの事を知恵のある者や賢い者に隠して、幼な子にあらわしてくださいました。
(26)父よ、これはまことにみこころにかなった事でした。
(27)すべての事は父からわたしに任せられています。そして、子を知る者は父のほかにはなく、父を知る者は、子と、父をあらわそうとして子が選んだ者とのほかに、だれもありません。
(28)すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。
(29)わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。
(30)わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」。
★「25~27節」を良く読みますと「子を知る者は父のほかにはなく、父を知る者は、子と、父をあらわそうとして子が選んだ者とのほかに、だれもありません」とあるように「主イェスの持つ選び」が語られています。その理解を持って「28~30節」を読みますと、「わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。」という主イェスからの「招きの言葉」が語られてます。★ここから解釈できる事は、招きに応答した者が「父⇄創造主なる神」を信じ得たのは「主イェスの選びの結果」であり、同時に「魂に休みが与えられる」のです。
置かれている場で、出来ることを考え、実践する
15/08/21 00:00

[03]わたしは、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりびとりに言う。思うべき限度を越えて思いあがることなく、むしろ、神が各自に分け与えられた信仰の量りにしたがって、慎み深く思うべきである。 [04]なぜなら、一つのからだにたくさんの肢体があるが、それらの肢体がみな同じ働きをしてはいないように、 [05]わたしたちも数は多いが、キリストにあって一つのからだであり、また各自は互に肢体だからである。 [06]このように、わたしたちは与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っているので、もし、それが預言であれば、信仰の程度に応じて預言をし、 [07]奉仕であれば奉仕をし、また教える者であれば教え、[08]勧めをする者であれば勧め、寄附する者は惜しみなく寄附し、指導する者は熱心に指導し、慈善をする者は快く慈善をすべきである。
★5節に注目します。パウロは「わたしたちも数は多いが、キリストにあって一つのからだであり、また各自は互に肢体だからである。」と語っています。この言葉が「教会とはキリストのからだである」ということを伝えています。★この聖書個所から、多摩NTキリスト教会に集う一人一人は、神の不思議な摂理によって「キリストにあって一つのからだを形成している肢体(=器官)」である事がわかります。そして、同時に、このパウロの言葉から多摩NTキリスト教会に集う一人一人は「みな同じ働きをしてはいない」と解釈する事ができます。★感染症が拡大し、一同が教会に集うことが難しい状態ですが、置かれている場で、教会のために、各自が出来ることを忠実に実践していただければと願います。
「もし愛がなければ」─愛が御霊の実であることを前提して
08/08/21 00:00

(01)たといわたしが、人々の言葉や御使たちの言葉を語っても、もし愛がなければ、わたしは、やかましい鐘や騒がしい鐃鉢と同じである。
(02)たといまた、わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい。
(03)たといまた、わたしが自分の全財産を人に施しても、また、自分のからだを焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、いっさいは無益である。
★私の心に止まるのは「無」という言葉や「無益」という言葉です。この箇所には「~に対して」にあたる言葉が直接語られていません。ですから、案外「全ての事柄に対して」というように読まれてしまう可能性があります。★前後の文脈から考えますと、説明的な言い方ですが「相手にとっても、自分にとっても」と読むのが自然に思えます。★4節以降に語られる愛の要素を用い、敢えて「普段から、高ぶった思いに満ち、誇らしげな態度をにおわせ、自分の利益しか考えないような人格のキリスト者」を想定してみましょう。2節を用いれば、このキリスト者が「預言をし、あらゆる奥義とあらゆる知識を語り、山を移すほどの強い信仰を示しても」相手からすれば「また自慢が始まったよ…。」となるように思えます。そのキリスト者の「預言や奥義や知識や強い信仰」が「相手にとっても、自分にとっても、無に帰してしまう」ということでしょう。
「境界線」と「隣人愛」の原点─不必要な自責からの解放のために
01/08/21 00:00
