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「もし愛がなければ」─愛が御霊の実であることを前提して

★コリント人への第一の手紙第13章1節3節の御言葉を考えます。
(01)たといわたしが、人々の言葉や御使たちの言葉を語っても、もし愛がなければ、わたしは、やかましい鐘や騒がしい鐃鉢と同じである。
(02)たといまた、わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい。
(03)たといまた、わたしが自分の全財産を人に施しても、また、自分のからだを焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、いっさいは無益である。
★私の心に止まるのは「」という言葉や「無益」という言葉です。この箇所には「に対して」にあたる言葉が直接語られていません。ですから、案外「全ての事柄に対して」というように読まれてしまう可能性があります。★前後の文脈から考えますと、説明的な言い方ですが「相手にとっても、自分にとっても」と読むのが自然に思えます。★4節以降に語られる愛の要素を用い、敢えて「普段から、高ぶった思いに満ち、誇らしげな態度をにおわせ、自分の利益しか考えないような人格のキリスト者」を想定してみましょう。2節を用いれば、このキリスト者が「預言をし、あらゆる奥義とあらゆる知識を語り、山を移すほどの強い信仰を示しても」相手からすれば「また自慢が始まったよ…。」となるように思えます。そのキリスト者の「預言奥義知識強い信仰」が「相手にとっても、自分にとっても、無に帰してしまう」ということでしょう。
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