March 2017
「義人は一人もいない」という聖書の人間観から考える
26/03/17 00:00
★多くの方々がご存知のように、国有の土地が、破格の値段で売却されたという出来事の真相が何処にあるのかを明確にすべく、当事者の発言が国会の場で問われました。国会に呼ばれ証言することには「参考人招致」と「証人喚問」があるようです。事実的な言い方をすれば「参考人招致」では「嘘がつける」が「証人喚問」では「偽証すれば罪に問われる」という縛りがあるとの判断からでしょうか、一気に「証人喚問」が行われました。★結果、本人は堂々としたもので、ある事柄に対しまして、事実は小説よりも奇なりという前置きをし「私の語っていることが正しい」と言い放ちました。★聞くところによると、この事柄を受けて、政府与党のある人物が「あの証言は嘘である」と語り、その理由として「だって、官邸が嘘をつくはずがないでしょう」と述べたようなのです。★「官邸」とは「総理大臣および内閣官房スタッフによる、内閣運営の核となるチーム(ウィキペディア)」のことです。★厳しい言い方をさせてもらえば、この言葉は「立憲主義を理解していない政治家の発言」だとなります。日本国憲法がなぜ素晴らしいかと言えば、「人間は過ちを犯しうる」ことを前提している憲法だからです。最も否定的に言えば「嘘をつき、物事を誤魔化す可能性のある人間」が国を動かすという前提的理解があるので、憲法が国を縛るのです。★この意味で言えば、「証人喚問」という場ではない、つまり「偽証罪」の付かない「参考人招致」や各種委員会での答弁、ましてやツイッターで「私の語っていることが正しい」と言われても、その証言の重さは、渦中の人物の言葉よりも軽いと私は考えます。
祈りの道が開かれている根拠
19/03/17 00:00
★ルターが「祈ること」に関して、次の文章を書いています。「◇もし、あなたが、自分は祈るに値するようになり、上手に祈れると思うまでは祈りたくないと言うなら、あなたはもう祈らないがよい。なぜなら、私たちの祈りは、私たちの価値に根拠があるのではなく、神の約束の不変の真理に基づいていなければならないからである。◇祈りが、私たち自身や、何か他のものによりどころがあるときには、たとえそれがおおげさな敬虔の念で心は砕け、むなしい血の涙を流していても偽りであり、あなたは惑わされているのである。なぜなら、私たちは祈るに値しないから祈るのであり、さらに、私たちは値しない者であるが、神のまことにのみようやく自分を賭けているのを信じることによって、私たちは祈るに値する者となり、聞かれるようになるからである。◇だから、生涯あなたは、心掛けておきなさい。あなたは祈るに値する者であるとか、上手に祈れると決して思わないこと、また、自分は、恵みの神のまことの確かな約束の上に委ねて自由でありうる無鉄砲な人間であるとだけ思っているように。」★このルターの言葉のように、一面「私は人間的に~するのに相応しくなったから、私には~することができる」という考え方はおかしくはないのです。しかし、「対創造主」という事柄になると、人間の側から、「私は~に相応しい者です」とは決して言えないということが真実なのです。そして、「対創造主」に対しては、「相応しくない者」だからこそ「開かれている道がある」という、驚くべき逆説があるわけです。★「創造主からの恵み」とはそのようなものなのだとつくづく思わされます。
社会正義を曲げることが出る人たち
05/03/17 00:00
★「こんなことが平然とまかり通るのですか?」という思いを持たざるを得ない出来事が起きています。どのような立場の人たちが社会正義を曲げるのでしょう。列王紀(上)21章を思い起こしました。
★(01)さてエズレルびとナボテはエズレルにぶどう畑をもっていたが、サマリヤの王アハブの宮殿のかたわらにあったので、(02)アハブはナボテに言った、「あなたのぶどう畑はわたしの家の近くにあるので、わたしに譲って青物畑にさせてください。その代り、わたしはそれよりも良いぶどう畑をあなたにあげましょう。もしお望みならば、その価を金でさしあげましょう」。(03)ナボテはアハブに言った、「わたしは先祖の嗣業をあなたに譲ることを断じていたしません」。
(04)アハブはエズレルびとナボテが言った言葉を聞いて、悲しみ、かつ怒って家にはいった。ナボテが「わたしは先祖の嗣業をあなたに譲りません」と言ったからである。アハブは床に伏し、顔をそむけて食事をしなかった。(05)妻イゼベルは彼の所にきて、言った、「あなたは何をそんなに悲しんで、食事をなさらないのですか」。(06)彼は彼女に言った、「わたしはエズレルびとナボテに『あなたのぶどう畑を金で譲ってください。もし望むならば、その代りに、ほかのぶどう畑をあげよう』と言ったが、彼は答えて『わたしはぶどう畑を譲りません』と言ったからだ」。(07)妻イゼベルは彼に言った、「あなたが今イスラエルを治めているのですか。起きて食事をし、元気を出してください。わたしがエズレルびとナボテのぶどう畑をあなたにあげます」。★新共同訳では「今イスラエルを治めているのはあなたです」。この言葉を語ったイゼベルが地位を利用して社会正義を曲げ、土地を手に入れてしまうのです。
★(01)さてエズレルびとナボテはエズレルにぶどう畑をもっていたが、サマリヤの王アハブの宮殿のかたわらにあったので、(02)アハブはナボテに言った、「あなたのぶどう畑はわたしの家の近くにあるので、わたしに譲って青物畑にさせてください。その代り、わたしはそれよりも良いぶどう畑をあなたにあげましょう。もしお望みならば、その価を金でさしあげましょう」。(03)ナボテはアハブに言った、「わたしは先祖の嗣業をあなたに譲ることを断じていたしません」。
(04)アハブはエズレルびとナボテが言った言葉を聞いて、悲しみ、かつ怒って家にはいった。ナボテが「わたしは先祖の嗣業をあなたに譲りません」と言ったからである。アハブは床に伏し、顔をそむけて食事をしなかった。(05)妻イゼベルは彼の所にきて、言った、「あなたは何をそんなに悲しんで、食事をなさらないのですか」。(06)彼は彼女に言った、「わたしはエズレルびとナボテに『あなたのぶどう畑を金で譲ってください。もし望むならば、その代りに、ほかのぶどう畑をあげよう』と言ったが、彼は答えて『わたしはぶどう畑を譲りません』と言ったからだ」。(07)妻イゼベルは彼に言った、「あなたが今イスラエルを治めているのですか。起きて食事をし、元気を出してください。わたしがエズレルびとナボテのぶどう畑をあなたにあげます」。★新共同訳では「今イスラエルを治めているのはあなたです」。この言葉を語ったイゼベルが地位を利用して社会正義を曲げ、土地を手に入れてしまうのです。