「義人は一人もいない」という聖書の人間観から考える
26/03/17 00:00
★多くの方々がご存知のように、国有の土地が、破格の値段で売却されたという出来事の真相が何処にあるのかを明確にすべく、当事者の発言が国会の場で問われました。国会に呼ばれ証言することには「参考人招致」と「証人喚問」があるようです。事実的な言い方をすれば「参考人招致」では「嘘がつける」が「証人喚問」では「偽証すれば罪に問われる」という縛りがあるとの判断からでしょうか、一気に「証人喚問」が行われました。★結果、本人は堂々としたもので、ある事柄に対しまして、事実は小説よりも奇なりという前置きをし「私の語っていることが正しい」と言い放ちました。★聞くところによると、この事柄を受けて、政府与党のある人物が「あの証言は嘘である」と語り、その理由として「だって、官邸が嘘をつくはずがないでしょう」と述べたようなのです。★「官邸」とは「総理大臣および内閣官房スタッフによる、内閣運営の核となるチーム(ウィキペディア)」のことです。★厳しい言い方をさせてもらえば、この言葉は「立憲主義を理解していない政治家の発言」だとなります。日本国憲法がなぜ素晴らしいかと言えば、「人間は過ちを犯しうる」ことを前提している憲法だからです。最も否定的に言えば「嘘をつき、物事を誤魔化す可能性のある人間」が国を動かすという前提的理解があるので、憲法が国を縛るのです。★この意味で言えば、「証人喚問」という場ではない、つまり「偽証罪」の付かない「参考人招致」や各種委員会での答弁、ましてやツイッターで「私の語っていることが正しい」と言われても、その証言の重さは、渦中の人物の言葉よりも軽いと私は考えます。