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知恵の道は聖化の道

★今日は、箴言3章前半のまとめです。★ソロモン王は(13)知恵を求めて得る人、悟りを得る人の“さいわい”を語ります。その“さいわい”とは最終的に(16)長寿と富と誉を得ることです。ですから、(14)知恵によって得るものは、銀によって得るものにまさり、その利益は精金よりも良いのです。また、(15)知恵は宝石よりも尊く、人間の望む何物も、これと比べるに足りないのです。しかも(17)知恵の道は楽しい道であり、悟りの道筋はみな平安なのです。★これほど知恵を得ることがさいわいなのですから、総称としての知恵ではなく、具体的な知恵が知りたくなります。そうしますと、文脈から分かる事は、これまでに聴き取った言葉がそのまま知恵の言葉なのです。①いつくしみと、まこととを捨ててはならない。②心をつくして主に信頼せよ、自分の知識にたよってはならない。③すべての道で主を認めよ。④自分を見て賢いと思ってはならない、主を恐れて、悪を離れよ。⑤あなたの財産と、すべての産物の初なりをもって主をあがめよ。⑥主の懲らしめを軽んじてはならない、その戒めをきらってはならない。★ソロモンによれば、これらの知恵は、(18)これを捕える者には命の木なのです。そしてここで言う命の木とは恐らく創世記2章に記された命の木を意味していると解釈されます。とすれば、①⑥に語られた知恵に生きる道は、福音書の言葉で言えば「永遠の命」へ至る道ということになります。★「永遠の命」へ至る道をいただいたキリスト者にあってはここで転換が起きます。これらの知恵の道はそのまま聖化への道筋なのです。ここで、(17)に戻れば、知恵の道(=聖化の道)は楽しい道であり、みな平安なのです。

苦しみの中で、一つだけ確かなこと

★今朝は詩篇からです。詩篇141篇の中で作者はこう語っています。中心部分を抜粋します。(1)主よ、わたしはあなたに呼ばわります。(3)主よ、わが口に門守を置いて、わがくちびるの戸を守ってください。(4)悪しき事にわが心を傾けさせず、不義を行う人々と共に悪しきわざにあずからせないでください。(8)主なる神よ、わが目はあなたに向かっています。★もちろん全体を読んでいただきたいのですが、ここに抜粋した個所から理解されますように、この詩人は、苦しみの中で、自分自身の「口」、「心」、「(手の)わざ」、「目」のすべてを主なる神様に向け、主なる神様のために用いることを願い、訴えています。これは苦難の中にある信仰者の姿勢として最も素晴らしいことです。まさに苦難からの出口を見出した瞬間です。★とは言え、私たちの心の中には、「そうは言っても‥‥」という、言わばこの種の正解を提示されることに対して斜に構える姿勢があります。私の言葉で言えば、口には出さずとも「願い、訴えることができるほど力が残されているならまだましなのだ」という言葉が心を占めるのです。皆様も思い当たりませんか?★残念ながら、その状態に留まり続けている限りは、解決のための出口はありません。どこに出口があるかと言いますと、恐らく、心のどこかで、自分自身が小さな決断をし、自分自身の「口」、「心」、「(手の)わざ」、「目」のすべてを主なる神様に向けることにあるのです。その決断の時の到来は、本人にも分からないのが通常です。ですから苦しいのです。★しかし、キリスト者にとっては、一つだけ確かなことがあります。それは、“主イエスは、共にいたもう!”ということです。
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