苦しみの中で、一つだけ確かなこと
07/11/10 00:00
★今朝は詩篇からです。詩篇141篇の中で作者はこう語っています。中心部分を抜粋します。(1)主よ、わたしはあなたに呼ばわります。(3)主よ、わが口に門守を置いて、わがくちびるの戸を守ってください。(4)悪しき事にわが心を傾けさせず、不義を行う人々と共に悪しきわざにあずからせないでください。(8)主なる神よ、わが目はあなたに向かっています。★もちろん全体を読んでいただきたいのですが、ここに抜粋した個所から理解されますように、この詩人は、苦しみの中で、自分自身の「口」、「心」、「(手の)わざ」、「目」のすべてを主なる神様に向け、主なる神様のために用いることを願い、訴えています。これは苦難の中にある信仰者の姿勢として最も素晴らしいことです。まさに苦難からの出口を見出した瞬間です。★とは言え、私たちの心の中には、「そうは言っても‥‥」という、言わばこの種の正解を提示されることに対して斜に構える姿勢があります。私の言葉で言えば、口には出さずとも「願い、訴えることができるほど力が残されているならまだましなのだ」という言葉が心を占めるのです。皆様も思い当たりませんか?★残念ながら、その状態に留まり続けている限りは、解決のための出口はありません。どこに出口があるかと言いますと、恐らく、心のどこかで、自分自身が小さな決断をし、自分自身の「口」、「心」、「(手の)わざ」、「目」のすべてを主なる神様に向けることにあるのです。その決断の時の到来は、本人にも分からないのが通常です。ですから苦しいのです。★しかし、キリスト者にとっては、一つだけ確かなことがあります。それは、“主イエスは、共にいたもう!”ということです。