牧師のページ

「人は…神の口から出る一つ一つの言で生きるものである」

pcd09095
★創世記に記された出来事から確認します。エジプトで大臣になっていたヨセフに招かれ、約束の地を出発し、エジプトに向かう途中のイスラエル(ヤコブ)に関する事です。(01)イスラエルはその持ち物をことごとく携えて旅立ち、ベエルシバに行って、父イサクの神に犠牲をささげた。(02)この時、神は夜の幻のうちにイスラエルに語って言われた、「ヤコブよ、ヤコブよ」。彼は言った、「ここにいます」。(03)神は言われた、「わたしは神、あなたの父の神である。エジプトに下るのを恐れてはならない。わたしはあそこであなたを大いなる国民にする。(04)わたしはあなたと一緒にエジプトに下り、また必ずあなたを導き上るであろう。ヨセフが手ずからあなたの目を閉じるであろう」。★「約束の地カナン」を出ようとするイスラエルに対して主なる神様が言葉を与えます。まず「わたしは神、あなたの父の神である」。⑴主なる神様は、ご自身が何者であるかを名乗られ、ご自身とイスラエルとの関係を伝えます。続いて⑵「エジプトに下るのを恐れてはならない」と、イスラエルの取るべき「行動」を命じられました。⑶続いてご自身の三つの「行動」を約束しました。①「わたしはあそこであなたを大いなる国民にする。」②「わたしはあなたと一緒にエジプトに下り、また必ずあなたを導き上るであろう。」③「ヨセフが手ずからあなたの目を閉じるであろう」。★記載された順序とは逆ですが、イスラエルの位置に立てば気付きます。「イスラエルは、これら三つの約束があるから自分の取るべき行動を実行できるのだ。」今の私たちも全く同じです。御言葉に記された福音の言葉、約束の言葉を土台にしましょう。

私たちの心は“生きて働かれる神”を知る事が出来る

pcd07095
★キリスト教信仰の特徴の一つは、主なる神様と私たち信仰者との間で「コミュニケーション」ができる、ということでしょう。私たち信仰者はこの「コミュニケーション」のことを大きく「祈り」と表現することができます。★この「コミュニケーション」は、「御言葉」に基づいて行うことが原則で、この原則に立つなら、私たちが日常的に行っている隣人との対話と同じように考えることができます。ただし、直接的に声を聞くことが出来ないという点と、連続的な対話のようには進まないという点では、日常的な会話とは異なっています。★この「祈り」を成立させているのが、三位一体の神の第三位格であられる「聖霊(御霊)」です。この事実に信頼して、「祈り」はまず、主なる神様からの御声を聞くところから始まります。★[28]あなたは知らなかったか、あなたは聞かなかったか。主はとこしえの神、地の果の創造者であって、弱ることなく、また疲れることなく、その知恵ははかりがたい。[29]弱った者には力を与え、勢いのない者には強さを増し加えられる。[30]年若い者も弱り、かつ疲れ、壮年の者も疲れはてて倒れる。[31]しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない。
★この御言葉が、今の自分に語り掛けられていると聞いてみましょう。「耳を傾ける」と言い換えてもよいでしょう。これは意識して行う行為です。その時に、自分の心が何を語り出すのか、自分の心の声にも耳を傾けます。私と同じように、このようにして時間を過ごすことが苦手なら、そのことを語るところから始めましょう。★私たちの心は生きて働かれる神を知ることが出来ます。
RapidWeaver Icon

Made in RapidWeaver