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私たちの心は“生きて働かれる神”を知る事が出来る

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★キリスト教信仰の特徴の一つは、主なる神様と私たち信仰者との間で「コミュニケーション」ができる、ということでしょう。私たち信仰者はこの「コミュニケーション」のことを大きく「祈り」と表現することができます。★この「コミュニケーション」は、「御言葉」に基づいて行うことが原則で、この原則に立つなら、私たちが日常的に行っている隣人との対話と同じように考えることができます。ただし、直接的に声を聞くことが出来ないという点と、連続的な対話のようには進まないという点では、日常的な会話とは異なっています。★この「祈り」を成立させているのが、三位一体の神の第三位格であられる「聖霊(御霊)」です。この事実に信頼して、「祈り」はまず、主なる神様からの御声を聞くところから始まります。★[28]あなたは知らなかったか、あなたは聞かなかったか。主はとこしえの神、地の果の創造者であって、弱ることなく、また疲れることなく、その知恵ははかりがたい。[29]弱った者には力を与え、勢いのない者には強さを増し加えられる。[30]年若い者も弱り、かつ疲れ、壮年の者も疲れはてて倒れる。[31]しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない。
★この御言葉が、今の自分に語り掛けられていると聞いてみましょう。「耳を傾ける」と言い換えてもよいでしょう。これは意識して行う行為です。その時に、自分の心が何を語り出すのか、自分の心の声にも耳を傾けます。私と同じように、このようにして時間を過ごすことが苦手なら、そのことを語るところから始めましょう。★私たちの心は生きて働かれる神を知ることが出来ます。
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