主イェスが語られた羊とやぎのより分けについて
30/07/23 00:00

[31]人の子が栄光の中にすべての御使たちを従えて来るとき、彼はその栄光の座につくであろう。[32]そして、すべての国民をその前に集めて、羊飼が羊とやぎとを分けるように、彼らをより分け[33]羊を右に、やぎを左におくであろう。[34]そのとき、王は右にいる人々に言うであろう、『わたしの父に祝福された人たちよ、さあ、世の初めからあなたがたのために用意されている御国を受けつぎなさい。[35]あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、[36]裸であったときに着せ、病気のときに見舞い、獄にいたときに尋ねてくれたからである』。[37]そのとき、正しい者たちは答えて言うであろう、『主よ、いつ、わたしたちは、あなたが空腹であるのを見て食物をめぐみ、かわいているのを見て飲ませましたか。[38]いつあなたが旅人であるのを見て宿を貸し、裸なのを見て着せましたか。[39]また、いつあなたが病気をし、獄にいるのを見て、あなたの所に参りましたか』。[40]すると、王は答えて言うであろう、『あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである』。
★ここでエゼキエル書の次の言葉を思い起こしましょう。
[26]わたしは新しい心をあなたがたに与え、新しい霊をあなたがたの内に授け、あなたがたの肉から、石の心を除いて、肉の心を与える。[27]わたしはまたわが霊をあなたがたのうちに置いて、わが定めに歩ませ、わがおきてを守ってこれを行わせる。
★救いが恵みの働きであると信じて律法に生きようとする者は、必ず愛の律法を生きるように変えられるのです。
「新約聖書を中心にしたキリスト教」という視点
25/06/23 00:00

主なる神やイエス・キリストを「愛する」とは?
18/06/23 00:00

[08]あなたがたは、イエス・キリストを見たことはないが、彼を愛している(以下省略)。
★ペテロは「αγαπαω」という動詞を用いて「彼(=イエス・キリスト)を愛している」と語ります。主イェスから「ヨハネの子シモンよ、わたしを愛するか」と問われた時のペテロを思い起こします。★ここで、よく考えてみますと「αγαπαω」は、どちらかと言えば、主なる神様が私たちを愛してくださることを語る時の動詞です。ですから、ヨハネは「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛(αγαπη)がある。」と語ります。★この「愛」の意味で言いますと「神を愛する」とか「イエス・キリストを愛している」ということは、どちらかと言えば、情緒的であることに力点がないのです。★主イェスは十戒を2つの「愛」に要約されましたが、「神を愛する」ことについては「①あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない」、「②あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない」、「③あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない」、「④安息日を覚えて、これを聖とせよ」を「要約」されたのです。ということは、①から④の戒めに生きることが「神を愛する」ことになるのです。★もちろん「愛」には情緒が伴っていますが、「神を愛する」とか「イエス・キリストを愛する」という時の「愛」について、再度お考えいただければと思います。
「CHatGPT」について思うこと
04/06/23 00:00

歴史の中にペンテコステ(聖霊降臨)が起きた結果(ほんの一部)です!
28/05/23 00:00

(38)そこで、ペトロは彼らに言った。「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、聖霊の賜物を受けるでしょう。
★別の角度からの御言葉による確認です。
(03)そこで、あなたがたに言っておくが、神の霊によって語る者はだれも「イエスはのろわれよ」とは言わないし、また、聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」と言うことができない。
★もう一つ別の角度からの御言葉による確認です。
(14)すべて神の御霊に導かれている者は、すなわち、神の子である。
(15)あなたがたは再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく、子たる身分を授ける霊を受けたのである。その霊によって、わたしたちは「アバ、父よ」と呼ぶのである。
★私たち、キリストの幸い!
(09)しかし、神の御霊があなたがたの内に宿っているなら、あなたがたは肉におるのではなく、霊におるのである。もし、キリストの霊を持たない人がいるなら、その人はキリストのものではない。
(10)もし、キリストがあなたがたの内におられるなら、からだは罪のゆえに死んでいても、霊は義のゆえに生きているのである。
(11)もし、イエスを死人の中からよみがえらせたかたの御霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリスト・イエスを死人の中からよみがえらせたかたは、あなたがたの内に宿っている御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも、生かしてくださるであろう。