牧師のページ

主なる神やイエス・キリストを「愛する」とは?

★今聞き取っていますペテロの手紙に、次の言葉がありました。
[08]あなたがたは、イエス・キリストを見たことはないが、彼を愛している(以下省略)。
★ペテロは「αγαπαω」という動詞を用いて「彼(=イエス・キリスト)を愛している」と語ります。主イェスから「ヨハネの子シモンよ、わたしを愛するか」と問われた時のペテロを思い起こします。★ここで、よく考えてみますと「αγαπαω」は、どちらかと言えば、主なる神様が私たちを愛してくださることを語る時の動詞です。ですから、ヨハネは「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛(αγαπη)がある。」と語ります。★この「」の意味で言いますと「神を愛する」とか「イエス・キリストを愛している」ということは、どちらかと言えば、情緒的であることに力点がないのです。★主イェスは十戒を2つの「」に要約されましたが、「神を愛する」ことについては「あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない」、「あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない」、「あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない」、「安息日を覚えて、これを聖とせよ」を「要約」されたのです。ということは、からの戒めに生きることが「神を愛する」ことになるのです。★もちろん「」には情緒が伴っていますが、「神を愛する」とか「イエス・キリストを愛する」という時の「」について、再度お考えいただければと思います。
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