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キリスト者は「みことばを反芻する」

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★今年の10月31日は、ルターによる「宗教改革500周年」の宗教改革記念日でした。★この宗教改革によって生み出された最大の出来事は、「キリスト者が、自分自身で聖書を読む」ということでしょう。もちろん誤った聖書解釈を生んでしまうという弊害があることは事実ですけれども、万人に聖書が開かれているという事実の方が、はるかに重要です。★ここでルターの言葉を聞いてください。★(前略)あなたは人の言葉を読んでいるのではなく、神のことば、至高の言葉を読んでいるのである。神は、その語ることに熱心に耳を傾け、注目する生徒をもつことを望まれる。愚か者だと思われないように、諸侯の手紙は慎重に三回は読むべきであるとよく言われているが、それなら、神の手紙である聖書を人はどんなに多く読むべきであろうか。三、四、十回、百回、千回、何千回も読むべきであろう。なぜなら、それは慎重に思慮深く語り、まことに永遠の知恵そのものだからである。このようにする者は、聖書によって、さらに学びの深い、良い者となり、そうしない者は、何も学ぶことなく、さらに悪くなるであろう。きよい獣は反芻するからである。反芻とは、神のことばを真剣に受け入れ、心でとらえ、それに対して愛と喜びをもち、熱心に考え、しっかりそれを信頼することである。きよい者、すなわち、正しいキリスト者は、そのように行い、その心はみことばにより、信仰を通してきよめられる。みことばを真剣に思わない者たちは、汚れた獣のままで居続ける。★ルターのこの言葉を紹介した焦点は、「きよい獣は反芻する」というこの律法規定を「みことばを反芻する」というキリスト者の生き方に適用している点です。ルターならではの解釈ですが、今私に必要な言葉としてストレートに響きました。
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