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キリスト者にとっての律法の位置

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★プロテスタント信仰の中で「律法主義」という言葉は、悪役を担わされています。その理由は、この言葉が「人は律法を守ることによって救われるのだ」という教えを意味しているからです。この意味付けは、新約聖書の福音書におけるパリサイ人と主イェスとの間の論戦から結論づけられたのただろうと推察しています。★ところが、今度は「律法主義」を批判する立場が行き過ぎてしまい「無律法主義に生きても良いのだ!」という考え方が生まれ出てしまいました。その結果、そもそも「律法とは何か?」という問いが真剣に問われるようになったのです。★そこで、誤解を恐れず最初に「律法」に関する命題文を語りますと「キリスト者は、聖霊と共に、律法を守ることによって聖くなる」となります。★プロテスタント信仰の中で「きよめ」が語られますが、「きよくする」とは「神の側に取り分ける」という意味です。ここからキリスト者が「きよくなる」という言葉の意味を定義づけます。まず、福音を信じて救われた時、主イェスに於いて「神の側に取り分けられた」となります。続いて「神の側に取り分けられた」者は「どのように生きるのか」と問うことになり「神の側に取り分けられた者にふさわしく生きることだ」となります。そこで更に「神の側に取り分けられた者にふさわしく生きるための規範」は何処にあるのかと問うことになり、その答えが「律法」となります。★赦された罪人に過ぎないキリスト者は、聖霊と共にでなければ、積極的に「律法」に生きようとはしません。ですから「神の側に取り分けられた」者には内的な戦いがあるのです。この内的な戦いが、キリスト者から消えることはありません。
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