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聖書は、実践と試練なしには決して理解されない

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★ルターが「試練のみがみことばに気を配ることを教える」というタイトルで次のように語っています。☆私は、私の神学を一気に学び終えたのではなく、徐々に深くそれについて探求し続けなければならなかった。私の試練がそのために役立ったのである。なぜなら、聖書は、実践と試練なしには決して理解されないからである。だから、パウロは、彼を打ちたたき、試練によって彼を追い立て、熱心な聖書の学びヘと向かわせる悪魔を持っていたのである。同様に私は、教皇や大学、学者たちを持っており、彼らによって私は悪魔を自分の首に付けていたのである。彼らは私を聖書ヘと駆り立てたので、私は熱心に読み、それにより聖書の正しい理解に到達したのであった。私たちがこのような悪魔をもっていなかったとしたら、自分でよくないことを思い巡らし、それはこうであるべきだなどと、自分の知恵のみで思索する単なる思弁的な神学者にとどまるのである。★ルター流の「悪魔」が登場している文章ですが、論述の中心点は「試練」が持つ信仰者の為の「働き」です。言葉を替えて説明的に語ります。★悪魔の働きは、試練を用いて、究極、私達キリスト者を御言葉の真理から遠ざけることです。このことを逆手に取るのです。この世にあっては試練が無くなることはありません。そうであるがゆえに、試練に出会うたびに、私たちは、御言葉と向き合い、その試練によって遠ざけられようとしている御言葉の真理は何であるのかを忍耐強く発見しようと努めるのです。★その取り組みが決して虚しくは終わらないということが、ルターのあかしです。
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