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人が「善悪を知る者となった」という言葉の意味

創世記に啓示された「善悪を知る木」とは、人(アダム)にとって「善悪を知る木からは取って食べてはならない」という「創造主」の言葉に従えば「」であり、従わなければ「」であることが分かる「」ということです。★このことから、当然のことですが「創造主」だけが「被造世界全体」に対して「何が善であり何が悪である」かを「定める位置」に立つ御方である、となります。つまり、「創造主」が「これは」と定めれば、そのことは「」となり、「創造主」が「これは」と定めれば、そのことは「」となります。この意味で、「創造主」だけが「善悪を知る者」であります。★そうしますと「創造主」が定めた「善悪規定」を破る行為は、いったい、何を意味することになるでしょうか?★文脈的な言葉遣いで言えば、「創造主」が定めた「善悪規定」を破る行為は、「創造主」ではなく、「わたし()」が「何が善でがあり何が悪である」かを決めるのだ主張し、それを実行してしまうことになります。つまり、「わたし」は、今後、「創造主」が定めた「善悪規定」に従わず、「わたし()」が決めた善悪規定」に従って歩むのだ、となります。★このことは、論理的な帰結として「わたし()」は、「創造主」のように「善悪を知る者」となるのだ、という宣言であります。
★これが「見よ、人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るものとなった」という言葉の意味です。同時に、この「善悪を知る者」とは契約違反者を意味する言葉なのです。
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