牧師のページ

生の意味を問う相手は自分の外側にいる創造主

★今朝は、現代の抱える問題でありつつも、解答へ向けた努力や関心が表面化されない事柄を持ち出します。「歴史の中に刻む自分の“生”にはいかなる意味があるのか?」。聞いての通り、とても大きな問いです。そう簡単には答が出せそうもない問いです。とは言え、この問いは、今を生きている私たち一人一人が、繰り返し問いかけてきた問いであると私は考えています。★自分の外側に、高度経済成長というレールがあり、そのレールの上で動く乗り物に乗るか、その乗り物にフックをかけて並走してさえいればよかった時には、この問いは意識を捕えることはありませんでした。しかし、経済成長が縮小してしまった現在、乗り物自体がその数を減らしてしまいました。そのような事態の中で、先ほどの問いが私たちの意識を捕え始めたのです。★ここから私たちが気づくべきことがあります。それは、自分の“生”の持つ意味を、経済的な視点からのみ考え過ぎているということです。真理はとても単純なのです。主なる神様は、聖書を通して、「人はパンのみにて生きるのではない」と啓示してくれています。経済性を否定する言葉ではありません。経済性のみが人生の全体を支えているという視点が間違っていることを啓示しているのです。★わたしたちの“生”は、とても豊かな意味を持っています。教育の点数や営業の成績に置き換えられたりできるものではないのです。現在話題になっている遺伝子自体に置き換えられたりできるものではないのです。★意味を持ってこの世界を創造された主(創造主)の口から出る言葉一つ一つを聞くことをせずに、自分の“生”の意味を考えるなら、答は混迷に入り込んでしまいます。
RapidWeaver Icon

Made in RapidWeaver