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「義(正義)の種」を蒔く戦いから退かない

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★まずは主イェスの言葉ですまむしの子らよ。あなたがたは悪い者であるのに、どうして良いことを語ることができようか。おおよそ、心からあふれることを、口が語るものである」★この御言葉を記した理由はおわかりいただけると思います。そうしますと、次はこの主イェスの言葉です「なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。自分の目には梁があるのに、どうして兄弟にむかって、あなたの目からちりを取らせてください、と言えようか。★この御言葉は、わたしたちキリスト者に自戒を求めさせます。その上で、ヤコブの言葉から抜粋します。「わたしたちは皆、多くのあやまちを犯すものである。もし、言葉の上であやまちのない人があれば、そういう人は、全身をも制御することのできる完全な人である。◦船を見るがよい。船体が非常に大きく、また激しい風に吹きまくられても、ごく小さなかじ一つで、操縦者の思いのままに運転される。◦それと同じく、舌は小さな器官ではあるが、よく大言壮語する。◦舌は火である。不義の世界である。舌は、わたしたちの器官の一つとしてそなえられたものであるが、全身を汚し、生存の車輪を燃やし、自らは地獄の火で焼かれる。◦あらゆる種類の獣、鳥、這うもの、海の生物は、すべて人類に制せられるし、また制せられてきた。◦ところが、舌を制しうる人は、ひとりもいない。それは、制しにくい悪であって、死の毒に満ちている。◦わたしたちは、この舌で父なる主をさんびし、また、その同じ舌で、神にかたどって造られた人間をのろっている。★罪の赦しを受けた者であっても「義(正義)」の種を蒔いて生きる戦いは決して楽ではありません。しかし、主なる神様は蒔いた種の結果を必ず受け取らせて下さるのです。
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