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幼子イエスを見てから知る「聖書の神」

★元旦礼拝では、次のルターの言葉に従って、御言葉に聞きました。「神を知り、誤ることなく神について思索しようとする者は、飼い葉桶をのぞき込みなさい。下から始めて、まず、ベツレヘムに生まれ、母の膝の上で乳を飲んでいる処女マリアの息子を知ることを学びなさい。それから、神はどのような方かを知ろうとするがよい。」★「母の膝の上で乳を飲んでいる幼子イエス」が指し示した神理解の第一は「キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。」という御言葉でした。「キリストにおいて、神は最も低くなられた」のです。★第二は「この大祭司(=主イェス)は、わたしたちの弱さを思いやることのできないようなかたではない。罪は犯されなかったが、すべてのことについて、わたしたちと同じように試錬に会われたのである。」との御言葉でした。ここから、主イェスは、わたしたちの弱さを思いやることのできるお方なのだ、と聴き取り、聖書の神は、私たちに「共感」してくださる神なのだと知る事ができます。★第三は、神が幼子イエスを「マリアとヨセフという人間の手に委託された」と解釈したことです。このことを「聖なる委託」と呼び、この事実から私は、聖書の神は、「人間に対して聖なる委託をなされるお方だ」という「神理解」を得ました。そして適用です。私たち一人一人は、一日一日の「私」を委託されています。そして、私たちの教会は、新会堂を委託されました。私たちに共感してくださる「インマヌエル」の神に信頼して、謙遜に、この二つの委託を生きようと決意します。
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