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“蟻”の姿から得るべき知恵とは

★箴言第6章に記された第二の主題はこれです。(06)なまけ者よ、ありのところへ行き、そのすることを見て、知恵を得よ。(07)ありは、かしらなく、つかさなく、王もないが、(08)夏のうちに食物をそなえ、刈入れの時に、かてを集める。(09)なまけ者よ、いつまで寝ているのか、いつ目をさまして起きるのか。(10)しばらく眠り、しばらくまどろみ、手をこまぬいて、またしばらく休む。(11)それゆえ、貧しさは盗びとのようにあなたに来り、乏しさは、つわもののようにあなたに来る。★この箴言の主題は、“蟻”の姿から知恵を得よ、となります。それならば“蟻”の姿から得るべき知恵とは何なのでしょうか。注目すべき一つの姿は「黙々と忠実に働き、事柄を成し遂げてゆく姿」にあるだろうと思います。★しかし、著者の力点はそこではないように思われます。そう思う理由は「かしらなく、つかさなく、王もないが」という三重の畳み掛けです。考えてみますと、これら三つの存在は、全て「命じる」存在です。ということは、しつこいようですが、7節を「ありは、命ぜられることはないが、命ぜられることはないが、命ぜられることはないが…」と読み替えることが出来ます。明らかに、この三重性は“蟻”の働く姿の中に、私たち人間の持つ主体性、自発性、積極性(等)を映していると読みとることが出来ます。★このことをキリスト者の視点で言い換えれば、「神のかたち」に創造された「私」には、「主体性、自発性、積極性」が備わっているということです。あらゆることに対してこの「主体性、自発性、積極性」を用いなければもったいない!のです。
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