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「不義をもって真理をはばもうとする人間」が確実に生み出すもの

★私たちの教会では、使徒パウロが書いたローマ人への手紙を読み始めました。その第1章18節にこう記されています。(18)神の怒りは、不義をもって真理をはばもうとする人間のあらゆる不信心と不義とに対して、天から啓示される。この言葉の中の「不義をもって真理をはばもうとする人間」という言葉が何を意味するのか、抽象的でわかりにくく感じます。★この言葉は直訳しますと「不義の中に真理を保持する人間」となり、この直訳から少し抽象度を下げますと、「不義の中に真理があると主張し生きる人間」となり、私は「主なる神様が不義と判断する事柄を正義とする人間」と解釈します。★このように解釈しますと、第3章に登場してくるパウロの言葉を理解することが出来ます。(05)…もしわたしたちの不義が、神の義を明らかにするとしたら、なんと言うべきか。怒りを下す神は、不義であると言うのか。(06)断じてそうではない。ここに語られるパウロの論敵の論理を丁寧に追えば、①「」は「わたしたちの不義」を裁かれる。これは神にとって「正義」の行為である。②これは「わたしたちの不義が」「神の正義を明らかに」しているということだ。③つまり「わたしたちの不義」が「神の正義」に役立っている(=正義)のである。④だから、「正義を行っているわたしたち」に対して「神が怒りを下す」のは「不義」である。★この論理展開は「主なる神様が不義と判断する事柄を正義に転換する」ことです。これが不義の中に、真理を保持する人間」の論理です。★自分自身の思考をも含め、この論理展開に注意を払う必要があります。何故ならこの論理が生み出すのは確実に「倫理的腐敗」だからです。
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