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裁きの中ですら「恵みの神」に向かって「恵みのみ」を求める信仰者のこころ

★まず「ヨナの不従順」を確認します。(01)主の言葉がアミッタイの子ヨナに臨んで言った、(02)「立って、あの大きな町ニネベに行き、これに向かって呼ばわれ。彼らの悪がわたしの前に上ってきたからである」。(03)しかしヨナは主の前を離れてタルシシへのがれようと、立ってヨッパに下って行った。この後ヨナはこの不従順に起因する苦難を通過することになります。「海に投げ入れられ」、「大いなる魚に飲み込まれてしまう」のです。★次にどうなったでしょうか?(01)ヨナは魚の腹の中からその神、主に祈って、(02)言った、「わたしは悩みのうちから主に呼ばわると、主はわたしに答えられた。わたしが陰府の腹の中から叫ぶと、あなたはわたしの声を聞かれた。★この事態の展開から分かりますように「」は「不従順の罪」を持つ「ヨナの祈り」に答えて下さったのです。★この出来事を受けてルターが次のように語っています。要点をまとめます。「あなたはこのような時、心にどんなに鋭い感受性が必要であるかに注目しなさい。その心は、怒りと罰にすっかり囲まれていても、怒りと罰ではなく、恵みといつくしみをそこに見て感じる。すなわち、たとえ、怒りと罰を最も高いところに見て感じ取っても、それを見ず感じないようにしており、また、たとえ、どんなに深いところに恵みが隠されていても、それを見て感じ取ろうとするのである。神のもとに来ることはこのように偉大なことであって、人は、神が怒り、自分は罰せられ、恵みを失ったと感じても、まるで棘の間を、いや、槍や剣ばかりの間を神のもとに突き進んで行かなければならない。」★恵みの神を信じる信仰の心は、恵みの神に向かって恵みのみを求める、ということです。ルターの大胆さが伝わってきませんか?
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