牧師のページ

「日本人と天国」vs「ユダヤ人と神の国」

pcd06007
★日本という国では「死がタブー視されている」という言葉を聞いたことがあります。ですから、日本社会では、できるだけ子供たちを「死」から遠ざけるような仕組みができ上がっているとも言われています。この言葉の真偽は脇に置いて、私の個人的な一つの感触を語らせていただくなら、日本という国では、いとも簡単に(一般的な理解での)天国に行けてしまうという現実があります。視点を変えて言えば、その結果、日常の中で「死」が遠ざけられていると感じます。★そのような私たち日本人に対して、次の主イェスとニコデモとの対話は、どのように響くのでしょうか。
[01]パリサイ人のひとりで、その名をニコデモというユダヤ人の指導者があった。[02]この人が夜イエスのもとにきて言った、「先生、わたしたちはあなたが神からこられた教師であることを知っています。神がご一緒でないなら、あなたがなさっておられるようなしるしは、だれにもできはしません」。[03]イエスは答えて言われた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」。[04]ニコデモは言った、「人は年をとってから生れることが、どうしてできますか。もう一度、母の胎にはいって生れることができましょうか」。[05]イエスは答えられた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも、水と霊とから生れなければ、神の国にはいることはできない。
★主イェスはご自分を訪問してきた老年期と推察されるニコデモに対して、「だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」と語ります。主イェスは、「死」と「神の国」との間に「だれでも新しく生れなければならない」というくさびを打ち込み、両者を安易に結びつけないのです。このことに“驚く感覚”は聖霊の働きなのだと考えます。
RapidWeaver Icon

Made in RapidWeaver