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「救い」と「聖化」の順序を確認する

★今日はエジプトからの脱出を果したイスラエルの民の姿に注目します。「エジプトの地を出て二か月目の十五日に…シンの荒野にきたが、その荒野でイスラエルの人々の全会衆は、モーセとアロンにつぶやいた。」何をどうつぶやいたのでしょうか?「われわれはエジプトの地で、肉のなべのかたわらに座し、飽きるほどパンを食べていた時に、主の手にかかって死んでいたら良かった。」★そこで主なる神様が動かれました。「見よ、わたしはあなたがたのために、天からパンを降らせよう。民は出て日々の分を日ごとに集めなければならない。こうして彼らがわたしの律法に従うかどうかを試みよう。六日目には、彼らが取り入れたものを調理すると、それは日ごとに集めるものの二倍あるであろう。」読んで気づきますように「天からのパン」には、イスラエルの民が主の「律法に従うかどうかを試みる」という役割があるのです。★その試みの要素は「六日目には、彼らが取り入れたものを調理すると、それは日ごとに集めるものの二倍あるであろう。」と語られています。どういう事でしょう?伝えられている内容は、安息日の前日には「天からのパン」を「二倍」集めなさい、とか「二倍」集めても良い、ということではありません。「六日目に、取り入れたものを調理すると、それは日ごとに集めるものの二倍ある」ことに「気づく」のです。「不思議」なことですけれども「六日目に、取り入れたもの」が「二倍」となって、安息日分が満たされてしまうというのです。★この後「この言葉」に従えなかったイスラエルの民の姿が描かれますが、それが「私たちの姿」でもあります。エジプトからの脱出(→救い)の後に神の民として整えられること(→聖化)が来るのです。
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