牧師のページ

私は「根拠を問わない姿勢」は危険だと考えます。

★皆様もご存知のように、先週末「中国、韓国からの入国制限の強化」が日本政府により発表されました。このことを起点にします。★テレビでも語られていましたが、日本の行政の長である人物は「これからこうする」という考えを発表するだけで「何故そう判断したのか」という詳細な判断の根拠をほとんど語りません。この事態に対して、私たち国民の側が「これって何かおかしくない?」という疑問を持ちたいと考えます。★「何故そう判断したのか」という判断の根拠を明確にするのは「後から(もちろん途中でも)」自分たちの行った決断に対する検証を可能にするからです。★聖書の記述(啓示)から明らかなことは、人間は「誤りを犯す存在である」という事実です。この視点から言えば、聖書は、国王と呼ばれる為政者から始まって市制の一人に至るまで、この事実から逃れられないということを文書として残しています。ですから、聖書は人間に「倫理を教える書物」たりえているのです。★今回このことを持ち出したのは、私たちが「イエス・キリストの福音」を信じていることに対しても同じ態度を持ちたいからです。★わたしたちキリスト教会(キリスト者)は「なぜ、イエスをキリスト(救い主・メシヤ)と信じるのか」という根拠を、きちんと聖書(旧新両約聖書)から聴き取っているでしょうか?聖書は明確に、その根拠を語ってくれているのです。★「ただ信ぜよ!」という言葉は「こういう根拠の故に、ただ信じるだけで救われるのですよ!」という意味の言葉であると私は考えます。丁寧に聖書から聴き取る努力を積み重ねないと「根拠を問わない信仰者」を生み出してしまいます。
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