牧師のページ

キリスト者を神の国へと持ち運ぶ土台

★ペンテコステの起きた直後、使徒ペテロは説教いたします。その一部を抜粋します。[36]だから、イスラエルの全家は、この事をしかと知っておくがよい。あなたがたが十字架につけたこのイエスを、神は、主またキリストとしてお立てになったのである」。[37]人々はこれを聞いて、強く心を刺され、ペテロやほかの使徒たちに、「兄弟たちよ、わたしたちは、どうしたらよいのでしょうか」と言った。[38]すると、ペテロが答えた、「悔い改めなさい。そして、あなたがたひとりびとりが罪のゆるしを得るために、イエス・キリストの名によって、バプテスマを受けなさい。そうすれば、あなたがたは聖霊の賜物を受けるであろう。★ここに記されていますように、使徒ペテロの言葉は、聴衆の心を刺しました。この時起きていることは、神のことばが勝利しているということです。神のことばに刺された心は「わたしたちは、どうしたらよいのでしょうか」と問うことになります。この問いに対して答えが与えられます。「悔い改めなさい。そして、あなたがたひとりびとりが罪のゆるしを得るために、イエス・キリストの名によって、バプテスマを受けなさい。そうすれば、あなたがたは聖霊の賜物を受けるであろう」。この答えの要点は「悔い改め」と「罪のゆるしを得る、イエス・キリストの名によるバプテスマ」と「賜物として聖霊を受けること」との3つです。★この3つがキリスト者として歩み出す時の三要素です。もし、信仰に何らかの迷いが生じた時には、自分自身に対して、この3つの土台を再伝達しましょう。私は、悔い改めている。私は、罪のゆるしを得るイエス・キリストの名による洗礼を受けている。私は、賜物として聖霊を受けている。キリスト者は、たとえ信仰が揺らいでいても、この土台の故に、支えられ、神の国へと持ち運ばれているのです。
RapidWeaver Icon

Made in RapidWeaver