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野の花の美しさを見よ


★「また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。」★ここでの主題を服装そのもののことだけと読みますと、誤解すると思います。かなり古い歌の歌詞ですが「ぼろは着てても心は錦」という言葉がありました。これに近い視点です。栄華をきわめた時のソロモンがいくら華美に着飾っても、野の花の美しさにはかなわないではないか、という視点で主イエスの言葉を聞いてみましょう。そうしますと、人間にとってより大切なのは、外側に身に付ける着物の方ではなく、神のかたちに造られた人間の持つ本性から外側に滲み出てくる実(品性)の方なのだ、となります。そして、主なる神様は、わたしたちがその本性から善き実を結ぶように働き掛けてくださるのです。★このことがわかりますと、主イエスの語られた「あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。」という言葉は約束の言葉であり、キリスト者は必ず善き実を結ばせていただけるはずなのです。★まず神の国と神の義を求めよという結論が垣間見えています。そして、使徒パウロの言葉が響きます。「御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。」
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