囚われに気付くことは幸いです
28/08/11 00:00
★箴言第12章9,11,14b節にはこうあります。(09)身分の低い人でも自分で働く者は、みずから高ぶって食に乏しい者にまさる。(11)自分の田地を耕す者は食糧に飽きる、無益な事に従う者は知恵がない。(14b)‥‥人の手のわざは、その人の身に帰る。★読んですぐに気付く共通点を拾いますと、「自分で働く者」、「自分の田地を耕す者」、「人の手のわざ」であります。もちろん、ここで語られる「自分」とは、「私が、俺が」という、いわゆる、人間の持つ自己中心性の表出ではありません。一人の人格として自立した人間の自己表出であります。★この意味での「自分」は、他人と比較して自らの歩みを評価したりしません。自分とは何者であるのかということをしっかりと捕らえていますので、他者によってなされる比較の言葉に翻弄されることなく、自由に生きられるのです。それ故に、この意味での「自分」は、自分に与えられた使命や仕事をしっかりと自覚しています。事柄の大小とか見栄えのするしないにかかわらず、与えられた責任を果します。★この「自分」について語る典型的な言葉を、パウロに見出すことが出来ます。「わたしは、どんな境遇にあっても、足ることを学んだ。わたしは貧に処する道を知っており、富におる道も知っている。わたしは、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、ありとあらゆる境遇に処する秘けつを心得ている。わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる。」★何かに囚われて生きている自分に気付いたら、とらわれない生き方があることを教えてくれる人の言葉に深く沈潜する時です。