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聖なる恐れを欠いた時の人間の姿から考える

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★主イェスは山上の説教の中で「あなたは殺してはならない」という第六戒に対する律法解釈(現実的適用)を語っておられます。[21]昔の人々に『殺すな。殺す者は裁判を受けねばならない』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。[22]しかし、わたしはあなたがたに言う。兄弟に対して怒る者は、だれでも裁判を受けねばならない。兄弟にむかって愚か者と言う者は、議会に引きわたされるであろう。また、ばか者と言う者は、地獄の火に投げ込まれるであろう。★相手に対して怒り、その怒りの表明として相手を「愚か者、ばか者」と語る時(恐らく、心の内で思う時も)、既に相手を「殺している」ということです。★主イェスによるこの適用を用いるなら、誰とは書きませんが、今まさに日本で起きていることに対しては「あなたは隣人について、偽証してはならない」という第九戒と「あなたは姦淫してはならない」という第七戒が適用されます。創造主を認めることのない優秀な人間理性が自律的になっている場では、いとも簡単に「十戒が破られてしまう」ことがわかる典型的な例です。★とても大きな言い方になりますが、このことは、赦された罪人に過ぎないキリスト者においても事実であって、御言葉を越えないという被造物としての立ち位置をいつでも自己吟味する必要があります。と同時に、そのような自己吟味の姿勢は、自分自身を萎縮させてしまうのではありません。軌道修正により、新しくされた自分を、より健全に管理し生かす道筋に立つ、ということです。
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