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主イエスが十字架刑に処せられた意味

★主イエス・キリストの使命を理解するために、預言者ヨナと主なる神様との間の対話は大変役立ちます。★出来事自体の概略はこうです。ヨナはニネベの町にはいり、「四十日を経たらニネベは滅びる」と伝えました。ニネベの町の人達は、「神を信じ、断食をふれ、大きい者から小さい者まで荒布を着た」のです。このうわさがニネベの王に達すると、王はその王座から立ち上がり、朝服を脱ぎ、荒布をまとい、王自身もまた灰の中に座したのです。それだけではありません。王とその大臣の布告をもって、ニネベ中に悔い改めの布告するのです。主なる神様の側は、彼らがその悪い道を離れたのを見られ、彼らの上に下そうと言われた災を思いかえして、これをおやめになったのです。★ヨナはこれを非常に不快として、激しく怒り出します。ヨナは怒りの理由を述べています。その理由に対する解釈は多々あるとは思いますが、私としては「滅びると預言したその預言の言葉が、主なる神様ご自身によって覆されてしまったことだ」と解釈致します。つまり、ヨナにとって大切だったのは、「預言の言葉が成就する」ことでした。これに対し、主なる神様にとって大切だったのは「十二万あまりの、右左をわきまえない人々と、あまたの家畜」だったのです。★エゼキエル書第33章11節にこうあります。「あなたは彼らに言え、主なる神は言われる、わたしは生きている。わたしは悪人の死を喜ばない。むしろ悪人が、その道を離れて生きるのを喜ぶ。あなたがたは心を翻せ、心を翻してその悪しき道を離れよ。《イスラエルの家よ》、あなたはどうして死んでよかろうか。」この《 》の中に、私達一人一人の名が入っているのです。
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