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怒りの根っこにあるもの

★今朝は箴言第14章より「怒り」に関する言葉を拾います。先ずは17節です。[17]怒りやすい者は愚かなことを行い、賢い者は忍耐強い(口語訳)。★この17節が示していることは次のように言えます。「怒り」は忍耐の欠如を意味します。従って、すぐに行動化します。そして、その行動はおおむね愚行に向かうのです。★この指摘はまことに鋭いと思わざるをえません。大きな例で言えば「義憤」があります。社会正義の名のもとに、自らの怒りは義憤だと考え、その怒りを正当化させ、怒りを爆発させたとします。そうした場合、余程の忍耐がありませんと、たいがい反社会的な行動として表面化します。社会正義から出発して、反社会的行動で終わってしまうという愚行です。★小さな例で言えば、日々の生活の中で、小さな正義を振り回すことです。もちろん、義に生きることを軽んじているのではありません。創造主の御前にあって、義に生きることは人間として当然のことです。そして、この「人間として当然」という所で、私たちは醜くなるのです。「当然」なのですから、そこで事態は完結しているはずなのです。ところが、知らず知らずのうちに、自らが義に生きるていることに対して対価を要求しているのです。良く知られている対価は二つあります。第一に、自分と同じように、「あの人」も義を生きるべきだと要求することです。第二に、義に生きている自分は、もっと正当に評価されるべきだと要求することです。この対価を得られない場合、心に小さな怒りが生まれているはずです。そして、その怒りこそが「対価を要求する思い」の根っこなのです。
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