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命が続く限り、私達と共にあるミッション

★大きな枠組みで考えましょう。ことあるごとにお伝えしていますが、創世記1章にこうあります。[28]神は彼らを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」。これは、文化・歴史形成命令とも呼ばれ、主なる神様から被造物である人間に対して与えられたミッションであります。これが社会的責任の根拠です。歴史的順序から言えば、その後、人間は主なる神様との間で結んだアダム契約に違反し、有罪となります。この罪の問題を解決するために、女の子孫(=メシヤ:救い主)の登場が約束され、原始福音と呼ばれています。つまり、罪の問題を解決してくださるお方(=メシヤ:救い主)の登場が救済であり、その登場を伝える言葉が福音です。★この大きな枠組みから言えば、文化・歴史形成命令(=ミッション)が与えられたのは、人間が契約に違反する前のことです。しかも、人間が契約に違反した後も、このミッションは取り去られていません。つまり、キリスト者であれ、非キリスト者であれ、この世に生きる人間は、依然として、このミッションの下にあるのです。★もちろん、主なる神様は、与えたミッションがどのように果たされたのかを問う時を定めておられます。その定めの時が、この世の時間で言えば終末の時であり、創造の視点から言えば、完成の時となります。★この意味で言えば、キリスト者は、このミッションを果すために、主なる神様と和解した(救われた)被造物として、自分の命を使うのです。この場合、自分自身の命の終りが先か、終末の時の到来が先かは関係がありません。キリスト者は、社会的責任を果すというこのミッションは、委ねられた自分の命が続く限り、私達と共にあるのです。
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