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「空の空、空の空、いっさいは空である」をどう読み解くのか③

★前回述べた事は、少々言葉を換えて言いますと次のようになります。「コヘレト」が語る「」とは「一方で、その存在がある(実在する)事は確実だと分かるのですが、他方、その存在(の全体)をつかみ取る事が出来ない」状態と解釈できます。★これを具体的に適用すれば「コヘレト」が「日の下で人が労するすべての労苦は、その身になんの益があるか。」と語る時「コヘレト」は「益がない」だから「」だと語っているのではなく「益があることは確実なのに、その益の全容が掴めない」ことを「」だと語っているのではないかと思えます。★今日は、有名な第3章を取り上げましょう。

[01]天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。
[02]生るるに時があり、死ぬるに時があり、植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり-(中略)-
[11]神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。
  それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。

★「天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。」も「神のなされることは皆その時にかなって美しい。」も共に有名です。しかし、11節までを読み、翻訳の印象に引きずられずに聴き取りますと「コヘレト」が語っている事は次のように言えます。「美しい神のわざの時」は「間違いなく実在する」のです。しかし「永遠を思ことができる人の心は、歴史の始めから終わりまでを考えることが出来ても、人の心は、その美しい神のわざの時がいつ到来するのか」を「知る事ができない」のです。「コヘレト」にとってこれは「」です。

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