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今この時、主イェスにお出会いするとは?

★まず最初に主イェスとペテロとの出会いの経緯を確認します。
[39]イエスは彼らに言われた、「きてごらんなさい。そうしたらわかるだろう」。そこで彼らはついて行って、イエスの泊まっておられる所を見た。そして、その日はイエスのところに泊まった。時は午後四時ごろであった。[40]洗礼者ヨハネから聞いて、イエスについて行ったふたりのうちのひとりは、シモン・ペテロの兄弟アンデレであった。[41]彼はまず自分の兄弟シモンに出会って言った、「わたしたちはメシヤ(訳せば、キリスト)にいま出会った」。[42]そしてシモンをイエスのもとにつれてきた。イエスは彼に目をとめて言われた、「あなたはヨハネの子シモンである。あなたをケパ(訳せば、ペテロ)と呼ぶことにする」。★ここから「伝道」という働きを聴き取れば「伝道」とは「人」が「主イェスと出会うようにする」こと、と言えます。そこで課題が発生します。今この時、この時のペテロがお出会いした、人間としての主イェスはおられないのです。★そこで福音派の中で(時々)耳にするのは「あなたを通して人は主イェスとお出会いするのですよ」、「あなたが主イェスのお姿を映すのですよ」等々。★そうしますと、これらの表現から、知らず知らずの内に、伝道のために、キリスト者は限りなく主イェスに似た者となることが必要なのだと聞かされていることになります。★私は思います。この時のアンデレは前日主イェスの所に泊まって主イェスの話しを聞いたのです。ですから、主イェスにお会いするとは主イェスの話しを聞くことです。このように考えるからこそ福音書が書かれたのだと信じます。ですから「伝道」とは、福音書を通して主イェスに出会っていただくことだと考えます。
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