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人生が行き詰まる時に「聞く耳を持っていますか?」という問い掛けがある

★主イェスは「種まきの譬え」を語られた後、弟子達と次のような対話をします。
[09]そして言われた、「聞く耳のある者は聞くがよい」。
[10]イエスがひとりになられた時、そばにいた者たちが、十二弟子と共に、これらの譬について尋ねた。[11]そこでイエスは言われた、「あなたがたには神の国の奥義が授けられているが、ほかの者たちには、すべてが譬で語られる。[12]それは『彼らは見るには見るが、認めず、聞くには聞くが、悟らず、悔い改めてゆるされることがない』ためである」。
★この主イェスの最後の言葉はイザヤ書第6章9,10節からの引用です。そこでイザヤ書本文を調べてみますと、この言葉は、イスラエルの民に向けて主の言葉を語るように召された預言者イザヤに対して主なる神様が語られた言葉でした。当然のことですが、イザヤは主なる神様に問うています。「いつまでですか?」★この問いに対する答えは、その内容から「イスラエルの民が(アッシリヤやバビロンに)捕囚されるまで」と読むことが出来ます。★そうしますと、元々の文脈を無視して、主イェスがこの言葉を引用し語られたとは解釈しません。ですから、弟子達以外の人達に対して、主イェスの語られた言葉の意味が未来永劫閉ざされてしまうわけではないと解釈できます。★それでは「いつまで」なのでしょうか?この問いに対してもイザヤ書の文脈が役立ちます。敢えて個人的な言い方をしますと、「神の言葉無しで歩む、その人の人生が行き詰まる時まで」であります。★ここから、一面厳しいことですが「人生が行き詰まる」ことは、創造主と神の言葉に立ち返る時なのだ、と言えるのです。
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