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「永遠の命を得る」という希望の大きさ

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★今私たちの教会が聴き取っています、主イェスの語られた終末の時についての教えは、信仰者の側から言えば、究極「永遠の命を得る希望」に至ります。この希望の持つ大きさについて宗教改革者ルターが次のように語っています。☆「勝利を得る者には、わたしと共にわたしの座につかせよう。(ヨハネの黙示録第3章21節)」私たちはこのような不思議を福音を通して得ているのだから、大胆になり、喜んで誇ろう。「私は洗礼を受け、キリスト者である。それゆえ、私は決して疑わない。主イエスを通して私はー人の主人であり、罪と死の上に君臨し続け、天とすベての被造物は、私の益になるように仕えるはずである」と。☆たとえ私がトルコ皇帝の王冠を持っていたとしても、キリストの相続財産に与かり、彼と共に永遠に生きることに比べれば、それは無に等しい。☆しかし、それを正しく信じて心にとらえている人々を私たちはどこで見付けるだろう。私たちはみなそろって、それを口まねすることはできるであろう。しかし、私たちが信じていないことはすぐに発覚する。なぜなら、私たちはあの不思議を自分の心にもたないからである。さもなければ、私たちは喜ばしいばかりでなく、大胆になるはずであるから。☆と言うのも、キリスト者とは、自分がキリストを通してすべての上に立つ主であることを知っているので、悪魔もあらゆる不幸も気に留めない、大胆な、幸せな人間だからである。★ルターの言葉は、単純明確な対比を用いることで要点を大胆に際立たせています。主イェスの言葉で言えば、「人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。(マルコ8:36)」となります。
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