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存在証明

★「被災地の仮埋葬の記事に見るB―2―1等の墓標ぞ悲しき(調布市)」
これは、朝日新聞の歌壇に選出されましたK兄の作品です。キリスト者であられるK兄のお人柄が醸し出されている作品であります。素人の感想でまことに失礼ですが、一人の人間が、この地上に生を受け、愛の内に成長し、家庭を築き、社会的責任を果し、最期の時を迎え、遺族に見守られながら埋葬されるという日常が、全く破壊されてしまった事実を思い浮かべました。★もし、遺骨が目に見える形での故人の存在証明だとすれば、愛する家族の存在証明を手元に残す事が出来なかったという無念さは、ご遺族にとって、癒しがたい心の痛みなのではないかと思わされます。★と同時に、私の心の内に、主イエスの語られた次の言葉が思い浮かびました。「あなたがたの名が天にしるされていることを喜びなさい」。この事は、使徒パウロや黙示録を記したヨハネによれば「いのちの書に名が書かれている」という表現になります。★東日本大震災の被害に遭われた方々にあっては、キリスト者、非キリスト者の区別はありませんでした。この意味では、ご遺族が愛する者の遺体を発見できない、あるいは、遺体が確認できないまま、どこかに埋葬されてしまっている、という悲しい現実は、キリスト者、非キリスト者の区別なく、臨んでいると推察するのです。そのような現実の中で、キリスト者には、創造主なる神様から、希望の語りかけがあるのだと思わされたのです。★「あなたの愛する者の名は天に(いのちの書に)記されているよ」との御声は、遺されたキリスト者にとって、なんと慰めに満ちた存在証明でしょうか。
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