万物は、神からいで、神によって成り、神に帰するのである
22/05/11 00:00
★昨日(5/21)、旭が丘キリスト教会(姜 奇豆牧師、日本アライアンスミッション)の献堂式に出席してきました。1990年3月、ランダー宣教師による府中市での開拓から始まり、日野市旭が丘に教会堂が与えられるまで、20年の歩みがありました。とりわけ、最後の2年間の歩みは圧巻でした。旭が丘キリスト教会の会員の方々であれば、だれ一人の例外もなく、惜しみなく時間を使い、教会堂が与えられるまでの導き物語を熱く語られるに違いありません。★言われてしまえば当たり前のことなのですが、「教会堂を建てるのは、創造主なる神様の御業である」ということを、つくづく思わされたました。その理由はこういうことです。新会堂が与えられるためには、間違いなく、教会員(人間)の側で準備すべき事柄があります。新会堂積立金や新会堂特別献金、そして銀行でローンを組むことが可能である等の金銭的準備です(もちろん、これらの準備ですら大変ですが)。ところが、新会堂が与えられるためにはもう一つ別に、どうも信仰の領域があるのです。この信仰の領域とは、新会堂が与えられるために、どうしても通過しなければならない領域であるにもかかわらず、教会員(人間)の力ではどうしても通過することができない領域なのです。非常に抽象的ですが、一言で言えば、創造主なる神様が生きて働いて下さらなければ、どうしても通過できない領域なのです。聖書の出来事で言えば出エジプトの際の「紅海渡航」のような領域です。★なぜそのような領域があるのでしょうか。既に述べたことですが、それは「教会堂を建てるのは、創造主なる神様の御業である」というこの一点に尽きます。