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無自覚な「前提」を敢えて問う姿勢

★イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』と書いてある」。この主イェスの言葉をどのように適用することが適切なのか、悩みつつも一つの提案です。★適用的に言えば、「パン」とは私たちの持つ地上の生物的な命を支えるものの代表です。これを、大きく考えましまして「経済」とします。それでは「神の口から出る一つ一つの言」の方は、適用的にどう置き換えましょうか?もちろん様々な適用語が考えられますが、ここは「神の言」の持つ性質に置き換えます。大変抽象的ですが、正義とか真理と置き換えて見ましょう。そうしますと次のようになります。「人は経済だけで生きるものではなく、正義(真理)で生きるものである。」★適用されたこの言葉に基づいて考えたいことは、今の日本(世界?)の経済優先の考え方そのものではなく、経済優先の考え方が背後に持つ前提です。主イェスの言葉が提示しているのは、経済優先の考え方に「対抗して物を言う視点」が存在していることを示します。「創造主からの視点」です。もっと言えば、「最終的には、創造主の視点に、正義(真理)の基準がある」という視点です。この視点が無い場所では、正義(真理)の定義そのものが、人間の立っている地平で決められます。乱暴に聞こえるかもしれませんが、議論を尽くしたとしても、最終的に、多数決の論理か権力の集中している場からの声が優勢になるでしょう。とは言え、どちらも相対的な基準であるため、正義(真理)の乱立となります。★「人間自身が、人間の立っている地平で、正義(真理)を決めるのは当然である」という前提があるのです。
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