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聞く耳のある者の始めること

★主イェスを軸にすれば、マルコによる福音書は、主イェスの誕生を語らず、聖霊を受けた主イェスの洗礼から始まります。主イェスは、洗礼者ヨハネが捕えられた時を起点として「時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」と語りはじめます。そして、シモン・ペテロを弟子として召した主イェスは、安息日にカペナウムで教え始め、その教えを聞いた人達は、その教えに驚愕してしまいます。★そこで、主イェスの教えを聞こうと決め、福音書を読み進みますと、記されているのは主イェスの御業であり、なかなか教えが登場してきません。まだかまだかと読み進み、ついに4章で登場します。★「聞きなさい、種まきが種をまきに出て行った。まいているうちに、道ばたに落ちた種があった。すると、鳥がきて食べてしまった。ほかの種は土の薄い石地に落ちた。そこは土が深くないので、すぐ芽を出したが、日が上ると焼けて、根がないために枯れてしまった。ほかの種はいばらの中に落ちた。すると、いばらが伸びて、ふさいでしまったので、実を結ばなかった。ほかの種は良い地に落ちた。そしてはえて、育って、ますます実を結び、三十倍、六十倍、百倍にもなった」。そして言われた、「聞く耳のある者は聞くがよい」。
★主イェスは譬えの解き明かしの最初で語ります。「種まきは御言をまくのである。」だとすれば、主イェスは「御言をまかれたのです」。私たちは王道を教えられています。まず最初に、主イェスの語られた言葉を聞くこと、それが聞く耳のある者の始めることです。
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