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キリストの体である教会の成り立ち

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★まず最初に、パウロによる次の言葉です。「信仰の弱い者を受けいれなさい。ただ、意見を批評するためであってはならない。(ロ-マ14:1)」★この御言葉の実際的な適用として、キリストの体である教会」の構成メンバーについて、ルターが次のように語っています。
あなたが、まだ弱さのある兄弟に会ったなら、このように考えなさい。私はこの兄弟の重荷を負わなければならない。彼がキリストを告白する限り、私は彼を見捨てるべきではない、と。キリスト者は、その良心においては医者であり、外から見れば、すなわち外面的な生活態度においては、兄弟の重荷を担う荷役の動物であるべきである。それは、ちょうど、人体が足ばかりではなく、弱くやわらかい肉の部分からも成っているように、聖なる教会にも弱い者たちや、その行いに私たちが腹をたてるような者たちがいるのは、やむを得ないことだからである。それゆえに、キリストのみ国は、担う者たちと担われる者たちから成っている。そして、私たちの命は、強さと弱さの両方で構成されているのである。
★大変興味深いのは、一番最後の言葉です。パウロが教会」を語る比喩として「人間のからだの構成」を用いることは有名ですが、ルターはそれを更に拡大して、「私たちの命」が「強さ」と「弱さ」の両方で構成されている事実に注目させるのです。★この視点は重要です。教会内で「強さ」を強調する人は、自分の持つ「弱さ」が見えなくなっています。「弱さ」を強調する人は、自分の持つ「強さ」が見えなくなっています。なんというバランス感覚でしょう!
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