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キリスト教会は「神の言」を語りつづける

★パウロは愛弟子であるテモテに対して次のように語っています。(Ⅱテモテ2:08)ダビデの子孫として生れ、死人のうちからよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい。これがわたしの福音である。(09)この福音のために、わたしは悪者のように苦しめられ、ついに鎖につながれるに至った。しかし、神の言はつながれてはいない。(10)それだから、わたしは選ばれた人たちのために、いっさいのことを耐え忍ぶのである。それは、彼らもキリスト・イエスによる救を受け、また、それと共に永遠の栄光を受けるためである。★この箇所から推察できますように、パウロは今「鎖につながれています。」そのパウロが獄中で実践していることは「いつでも、ダビデの子孫として生れ、死人のうちからよみがえったイエス・キリストを思う」いうことです。次に推察できますのは、パウロ自身は投獄という事実を「耐え忍んでいる」わけですが、その忍耐を支えているのは、投獄されていない多くの同労者たちによって「神の言」が宣べ伝えられているという事実です。しかも、パウロの論理によれば「選ばれた人たち」がいる限り、「神の言はつながれることがない」という確信がパウロにはあるのです。★キリスト教会が伝道を推進する根拠も同様です。「キリスト・イエスによる救を受け、また、それと共に永遠の栄光を受ける」人達が誰であるかは主なる神様のみぞ知ることですが、「選ばれた人たち」がいる限り、「神の言はつながれることがない」のです。だとすれば、キリスト教会は「イエス・キリストを、いつも思って、神の言」を語り続けるのです。
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