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「契約」の前提は自立した一個の人格

★私たちは、旧約聖書の「約」も新約聖書の「約」も共に「契約」を意味することを知っています。しかし、大切なのその次です。このことは、創造主と人間を含む被造物とが「契約」を結んでいる、「契約を通して結びついている」ということを示しています。★ここから更に大切なことが分かります。創造主と人間とは異質な存在であり、その異質な存在同士が関係を結ぶ時、契約が用いられるという伝達(啓示)です。ですから、ざっくりとした表現ですが、キリスト教を背景に持つ国々では「契約」が非常に重要な位置を占めます。★この視点から日本を見てみますと「契約概念」が大変希薄であると思わざるを得ません。別の言い方をすれば、異質な存在同士が関係を結ぼうとする時「血縁や地縁」に代表されるように「縁」が立ちはだかるのです。しかも「契約」に取って代わるような事柄はありません。むしろ「郷に入っては郷に従え」という言葉に示されているように、異質な存在同士が関係を結ぼうとする時、縁に基づいた「内」は、何らかの意味で「外」が「内」に「同質化」することを要求します。私には、この無言の要求が、日本の精神性の土壌の中に根強く存在するように思われます。★「契約によって結びつく」ということは「人間味を欠いた関係だ」と理解されがちですが、その理解の中に真理契機を一部聞き取るとしても、「契約によって結びつく」と言う時、「人間を一個の自立した人格として扱う」という前提があることを理解しておきたいと思います。
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