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「空の空、空の空、いっさいは空である」ならどうするのか?④

★前回は「実存的肯定思考」をふまえて「創造論的肯定思考」を考え、両者の相違を明らかにしました。「創造論的肯定思考」は「被造世界に起こる全ての事柄に対する創造主の摂理的支配」を確信しますから「既に意味は存在する」のです。これに対して「実存的肯定思考」の究極の土台は「自分」ですから「意味は人間が自分で造り出すもの」となります。★今日は、人間が物事の意味を考える時に行う行為としての「自問自答」を考えます。自分が自分自身に向けて問いを発し、自分自身が答えるという形の思考形式です。詩篇42篇に、この思考形式の典型があります。

[01]神よ、しかが谷川を慕いあえぐように、わが魂もあなたを慕いあえぐ。
[02]わが魂はかわいているように神を慕い、いける神を慕う。いつ、わたしは行って神のみ顔を見ることができるだろうか。
[05]わが魂よ、何ゆえうなだれるのか。何ゆえわたしのうちに思いみだれるのか。神を待ち望め。わたしはなおわが助け、わが神なる主をほめたたえるであろう。

★この詩篇の作者を「創造論的肯定思考」の人とすれば、人生の難題に直面し、解決が得られず「自分の魂」が「うなだれ思いみだれた時」、「わが魂よ、何ゆえわたしのうちに…」と自問自答しています。しかし、同時に「神よ」と呼びかける相手(存在)を持っていることがわかります。ですから「創造論的肯定思考」の人は、絶望と思える時でも「神の御手の中にある意味」を求めて「自分の魂」に対して「神を待ち望め」と語りかけ得るのです。(続く)

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