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キリスト者の生き方の実は神の国へと連続するのです

★先週は講壇交換で奥村喜樹先生が、エレミヤ書第29章17節に基づいて説教して下さいました。まずその聖書箇所です。

(04)「万軍の主、イスラエルの神は…バビロンに捕え移させた者に、こう言う、
(05)あなたがたは家を建てて、それに住み、畑を作ってその産物を食べよ。
(06)妻をめとって、むすこ娘を産み、また、そのむすこに嫁をめとり、娘をとつがせて、むすこ娘を産むようにせよ。その所であなたがたの数を増し、減ってはならない。
(07)わたしがあなたがたを捕え移させたところの町の平安を求め、そのために主に祈るがよい。その町が平安であれば、あなたがたも平安を得るからである。

★喜樹先生の説教の一つの論点を言えば、私の解釈と表現になりますが、やがて到来するであろう約束の地カナンへの帰還の際、イスラエルの民が捕囚先で忠実に生きたことによって体得した事柄が生かされることになる、というものでした。★この論点は、イスラエルの民と「約束の地カナン」との関係がキリスト者と「神の国」の関係の比喩であると解釈する視点に当てはまります。私たちキリスト者がこの世で生きた結果は「終末の時」に消え去ってしまうのではなく、その時到来する「神の国」へと連続してゆくことになるのです。★主の御言葉に聞きつつ、コツコツと忠実に生きる事が生む実は、永遠的な価値があるのです。

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