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“主を待ち望む”信仰姿勢について

sks-12
★「わたしは主を待ち望みます、わが魂は待ち望みます。そのみ言葉によって、わたしは望みをいだきます。(詩篇130篇5節)」この御言葉をもとにルターが語っています。(少々分かりやすくします。)☆神に目標を示し、時と方法を決め、自分にとって望ましいように神に向かって提案しようとする人々がいるものである。そして、彼らは、もし、それが自分の思い通りにならないと、意気消沈したり、ほかに助けを求めたりしたがる。実は、この人々は待ち望んでいないのである。☆彼らが主を待つのではなく、神が彼らを待ち、直ちに準備して、ちょうど彼らが思い描いていたような仕方で救うはずだと彼らは思っているのである。☆これに対し、主を待ち望む人々は、彼らは恵みを求めはするが、いつ、どのように、どこで、何によって神が彼らを救われるかについては、神の良い御心に委ねておくのだ。★このルターの言葉を聞いた後に、続く130篇6節に目を向けます。「わが魂は夜回りが暁を待つにまさり、夜回りが暁を待つにまさって主を待ち望みます。」★主を待ち望む人々は、恐らく何もしないわけではないのです。ただ、彼らは救いを疑わず、主の主権の許、際限もなく長い間であっても、そこでじっと待たされることを受け入れているのです。★このような信仰姿勢の背後には、この御言葉があると思います。「わが口から出る言葉も、むなしくわたしに帰らない。わたしの喜ぶところのことをなし、わたしが命じ送った事を果す。
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