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「主」と「契約」によって結びつく者の幸い

★哀歌第3章(口語訳)に記された代名詞の主語が「主」であると理解しますと、作者エレミヤは次のように語っています。
[10]主はわたしに対して待ち伏せするくまのように、潜み隠れるししのように、[11]わが道を離れさせ、わたしを引き裂いて、見るかげもないみじめな者とし、[12]その弓を張って、わたしを矢の的のようにされた。[13]主はその箙の矢をわたしの心臓に打ち込まれた。[14]わたしはすべての民の物笑いとなり、ひねもす彼らの歌となった。[15]主はわたしを苦い物で飽かせ、にがよもぎをわたしに飲ませられた。[16]主は小石をもって、わたしの歯を砕き、灰の中にわたしをころがされた。[17]わが魂は平和を失い、わたしは幸福を忘れた。[18]そこでわたしは言った、「わが栄えはうせ去り、わたしが主に望むところのものもうせ去った」と。
★そのように語ったエレミヤが、次のように続けています。
[19]どうか、わが悩みと苦しみ、にがよもぎと胆汁とを心に留めてください。[20]わが魂は絶えずこれを思って、わがうちにうなだれる。
[21]しかし、わたしはこの事を心に思い起す。それゆえ、わたしは望みをいだく。
[22]主のいつくしみは絶えることがなく、そのあわれみは尽きることがない。
[23]これは朝ごとに新しく、あなたの真実は大きい。
[24]わが魂は言う、「主はわたしの受くべき分である、それゆえ、わたしは彼を待ち望む」と。
★ここに登場する「主のいつくしみあわれみ真実」とは「」の契約に対する態度を意味しています。契約に基づいて「」と結びついている者は絶望しないのです。
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