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人に見せようとして


★今日は、主イエスの語られた断食に関する教えです。「また断食をする時には、偽善者がするように、陰気な顔つきをするな。彼らは断食をしていることを人に見せようとして、自分の顔を見苦しくするのである。よく言っておくが、彼らはその報いを受けてしまっている。あなたがたは断食をする時には、自分の頭に油を塗り、顔を洗いなさい。それは断食をしていることが人に知れないで、隠れた所においでになるあなたの父に知られるためである。すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いて下さるであろう。」★旧約聖書を調べてわかることは、断食とは本来「主なる神様に対する」悔い改めやへりくだりの姿勢を示していました。ところが主イエスの時代、そこに「人に見せる」という姿勢が入り込んでいたということです。★主イエスの指摘は、施しや祈りに関する指摘と同じです。中心点は「人に見せようとして」ということです。この主イエスの指摘からわかりますように、私たちは「主なる神様に対して行う行為を人に見せ、その行為に対する評価を人から受ける」という思いからなかなか自由になれないということです。★今述べた言葉で注意して欲しいのは、「主なる神様に対して行う行為を人に見せ」という点です。主イエスの語られた論理は明解です。どんな行為であれ、たとえそれを「主なる神様のために」という動機ではじめても、「人からの報い」を期待しているのであれば、本来の動機は既に消え去っているということです。途中から転換した動機に基づいた結果を得た以上、その行為は完結しているということです。主なる神様に対する善行に、二つの動機は存在しえない、ということです。
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