牧師のページ

世に認知される事よりも、知恵を持っている事実そのものが重要

★伝道の書第9章13節から17節に次の言葉があります。

[13]またわたしは日の下にこのような知恵の例を見た。これはわたしにとって大きな事である。
[14]ここに一つの小さい町があって、そこに住む人は少なかったが、大いなる王が攻めて来て、これを囲み、これに向かって大きな雲梯を建てた。
[15]しかし、町のうちにひとりの貧しい知恵のある人がいて、その知恵をもって町を救った。ところがだれひとり、その貧しい人を記憶する者がなかった。
[16]そこでわたしは言う、「知恵は力にまさる。しかしかの貧しい人の知恵は軽んぜられ、その言葉は聞かれなかった」。
[17]静かに聞かれる知者の言葉は、愚かな者の中のつかさたる者の叫びにまさる。

★コヘレトの語る「空」のトーンを「虚無的」と理解して14節から16節の箇所を読めば「貧しい人を記憶する者がなかった…貧しい人の知恵は軽んぜられ…」という言葉に、一種の無常観を聞き取るのではないかと思います。★しかし、興味深いことに、コヘレトは13節で「これはわたしにとって大きな事である」と語っていますし、17節でも「静かに聞かれる知者の言葉は…まさる」と語っています。つまりコヘレトは、私たちの現実に生起する出来事そのものである14節から16節の内容を13節と17節とで挟む形で語っているのです。★コヘレトが見ているのは世の評価ではなく、知恵を持つことそのものの価値だと私は思います。

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