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都エルサレムを前にして泣かれたイエス

★私たちは、ルカによる福音書に記された主イエスの涙を学びました。正確に言いますと、都エルサレムに入場する前、エルサレムの都を目の当たりにした時、主イエスは「泣かれた」のです。その時語られた主イエスの言葉。「もしおまえも、この日に、平和をもたらす道を知ってさえいたら………しかし、それは今おまえの目に隠されている。」★この「隠されている」という言葉の背後には、イザヤ書に記された次の御言葉があると受け止めました。「(1)見よ、主の手が短くて、救い得ないのではない。その耳が鈍くて聞き得ないのでもない。(2)ただ、あなたがたの不義があなたがたと、あなたがたの神との間を隔てたのだ。またあなたがたの罪が主の顔をおおったために、お聞きにならないのだ。」★摂理的な視点を脇に置き、荒野で受けられた悪魔による誘惑を下敷きにしまと、神の御子としての力を用い、滅びヘと向かうエルサレム住民の罪の心を変えることは、主イエスご自身、可能であったと考えます。しかし、それは「決して実行してはならない」ことでもあったのです。★歩み進む方向を変えて、本来いるべき場所へ立ち帰るという「悔い改め」は、罪人の側から生まれ出なければならない。この厳粛な事実の前に、主イエスも都エルサレムの住民達も立たされていました。都エルサレムに住む人々の罪がもたらす結末を知る主イエスは「泣かれた」のだと、推察いたします。★「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」
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