だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である
29/12/19 00:00
★聖書の中にある「箴言」は知恵の言葉として知られています。しかし、場所によっては翻訳の言葉に相違があったり、その指摘があまりにも簡潔なため、今の自分にはそれほど当てはまらないと判断されてしまう言葉もあり、それらが原因でなかなか馴染めないということが起きているかもしれません。★しかし、私は「箴言」の伝える「真理」とは次のような特質があると考えています。私たちは、主なる神様に創造された歴史の中で生きています。その歴史には最初と最後があります。その最後の時に、「箴言」の伝えるその簡潔な「真理」の指摘が「歴史を貫いて真理であったことが分かる」という特質です。★この意味で言いますと、「箴言」の伝える「真理」に対しても主なる神様は「時が来れば成就するわたしの言葉」と語られます。★2019年の終わりに、口語訳ですが、旧くて新しい言葉として次の御言葉を聞きましょう。最初に箴言第28章13節「その罪を隠す者は栄えることがない、言い表わしてこれを離れる者は、あわれみをうける。」これを受けて、第一ヨハネ第1章9節「もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。」更にエペソ第5章12~14節「(12)隠れて行っていることは、口にするだけでも恥ずかしい事である。(13)しかし、光にさらされる時、すべてのものは、明らかになる。(14)明らかにされたものは皆、光となるのである。」★キリスト者は、この御言葉に従って新しい年2020年を迎えることが赦されています。頌栄!