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人をさばくな③


★「人をさばくな。自分がさばかれないためである。あなたがたがさばくそのさばきで、自分もさばかれ、あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられるであろう。」今日はこの言葉を、隣人と主なる神様との関係を重ね合わせて読み取りたいと思います。★ここで私が「重ね合わせる」と語る意味は、究極、それらを土台として、啓示的(霊的)な事柄として聞くということを意味します。そうしますと、このことの典型的な例が次の主イエスの言葉です。引用は必要な個所だけにします。★「ペテロがイエスのもとにきて言った、『主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯した場合、幾たびゆるさねばなりませんか。七たびまでですか』。イエスは彼に言われた、『わたしは七たびまでとは言わない。七たびを七十倍するまでにしなさい。それだから、天国は王が僕たちと決算をするようなものだ。‥‥『悪い僕、わたしに願ったからこそ、あの負債を全部ゆるしてやったのだ。わたしがあわれんでやったように、あの仲間をあわれんでやるべきではなかったか』‥‥あなたがためいめいも、もし心から兄弟をゆるさないならば、わたしの天の父もまたあなたがたに対して、そのようになさるであろう」(マタイ18:21〜35)。★既にお気づきのように、主イエスの教えにおいては、「さばく」ことは「赦す」ことと密接に関係しています。これまでのコラムで取り扱わせていただいたように、地上の人間関係で体験する「さばき」の結果は、旧約聖書の預言者に託された言葉で言えば、やがて来るべき、「その日」に対する備えとなるのです。「聞く耳のある者は聞きなさい」とは「その日のために備えよ!」との御声でもあります。
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